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「龍」
籔内佐斗司
 フィクションという概念を持たないひとたちが映画の「E.T.」や「ジュラシックパーク」を見たら、あんないきものが現実に存在すると思いこんでも不思議はありません。実際、こどものころの私は、ひとのことばを完全に理解し人間と同じ倫理観を持った「ラッシー」や「リンチンチン」という名の犬がいると信じていましたから。
 昔のひとが絵画や書物などで認識していた「獅子」「麒麟」「貘」「鰐」「猩々」などは、私たちが動物園でごくふつうにお目かかる同じ名前を持つ動物とは外見も性質も別物です。当時のひとびとの意識の中には、現代人が認識しているものとは全く違う生物が存在していたのです。
 現実に見たこともないいきものに、実に豊かな性格と象徴性を与える才能では、古代の中国人の右に出るものはありません。今回は、その代表格である龍について、やぶにらみ史観による見てきたような法螺話です。

 龍の造形は、東アジアで広く見られます。造形的な特徴からワニのイメージが基底にあることは容易に想像がつきます。そしてモンスーン地帯で水田耕作を行ってきた地域では水神として大切に信仰されてきました。
 しかしヨーロッパでは、龍は「黄禍」の象徴です。フン族や蒙古帝国の侵略を受けたヨーロッパでは、龍を東方の凶暴な異教徒の象徴として嫌います。絵画にも騎士やキリスト教の聖者によって退治される怪物として描かれています。テイラノザウルスなどの多くの恐竜がたいへん攻撃的で獰猛なイメージがあるのは、西洋人の深層心理からくる偏見の産物であるのかもしれません。数十年前まで、食人の習慣を持っていた原始人は、北京原人だけだと考古学界では考えられていたくらいですから。
 龍は恵みと禍いの両方をもたらす水の象徴です。生命に欠かすことのできない水は、天空と大地をつねに循環していて、天から舞い降りた水はまた天界へ還ろうとする「意思」を持っていると考えました。ふだんは池や湖などで鯉の姿となって穏やかに暮らしています。鯉の髭は龍の化身の証です。ときが来ると川を遡り滝を昇り、霊山の高みから龍となって雷鳴とともに天界へ還るとされました。庭園の池に滝を造り鯉を放すのはそうした思想背景に基づいています。五月五日の鯉幟りは、こどもたちがいつかは龍のように高みへ駆け昇ることを願う親心の象徴でした。

「逆鱗(げきりん)に触れる」ということばがあります。顎のしたに鱗が逆さまに生えたところがあるそうで龍の急所です。そこに触れると龍は逆上し大暴れをして触った者を食べてしまう、と中国戦国時代の法学者・韓非はまことしやかに書き残しています。龍にはときどき怒りを爆発させて大暴れをする性質があるのです。
 最近、中部地方のある景勝地の植生が大きく崩れだし問題になっています。原因は、近くを流れる河が増水した時に排水するために掘られた直径九メートルの地下トンネルでした。そのトンネルが地下水脈を横断し、水がトンネルに流れ込んでしまったため、周辺の土地に地下水が行き渡らず、七年目にして地表が乾燥し始めたのです。大自然のエネルギーは、人間の知恵や時間では統御できない大きさがあることがこのことからもわかります。水に限らずさまざまな自然の力を「神」として畏敬し、恵みに感謝する謙虚な姿勢が近代合理主義思想からは欠如していました。今そのつけがさまざまな環境問題として全人類にふりかかってきています。昨今の経済優先のダム建設や農地開発が、流域の保水力を著しく低下させたために起きた中国の大洪水が、共産中国の屋台骨を揺るがしかねない事態になったことは記憶に新しいことです。そういえば最近中国から輸入される食器には、皇帝にしか使用を許されなかった五爪の龍が無造作に描かれているのを見かけます。水への畏敬を忘れたひとびとの傲慢さに、本場の龍も堪忍袋の緒が切れたのでしょうか。

 私は龍をテーマにいくつかの作品を造っていますが、古代のひとびとが、なぜこのような空想のいきものを生み出し、それを繰り返し表現してきたのか長い間不思議でした。しかし最近こんなふうに考えるようになりました。それは、架空の動物を造形や観念上のお遊びだけで想念したのではなく、人類が大自然とおつきあいさせてもらう智慧と作法を暗示しているに違いないと。

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