『月刊美術』1998年1月号掲載

大黒さま

籔内佐斗司(彫刻家)

年のはじめにちなみまして、七福神のおひとりである大黒さまについての考察です。

 大黒天が、もともとはインドの神であり、仏教に取り入れられて天部衆になったことはよく知られたことです。七福神の「七福」は、「仁王護国般若波羅密経」にある「人間界の南の国々に、七つの災難があった。この災難を取り除くために一切国王が般若波羅密を講読したところ、直ちに七難は消滅し七福が生じた。ひとびとは安楽にくらし、帝王はお喜びになった。」との一節に由来するといわれます。「七福神」の一団はわが国固有のものです。室町末期から桃山にかけて大阪・京都の町衆による貨幣経済の発展とともに成立したと考えられます。ただ現在知られている七福神のメンバーが固定し広くひとびとに信仰されたのは江戸時代になってからのことです。

 さて、古代インドの世界観では、この世のすべての現象・事象は「生成」「変化」「消滅」を永遠に繰り返していると考えられ、おのおのを擬人化した神格を以て表現しました。すなわち生成の神としてブラーフマン、変化の神としてヴィシュヌ、消滅あるいは死の神としてシヴァを想定しました。よりよく生まれたい、よりよく生活したい、より安らかに死んでいきたい、これらの願いがそれぞれの神への信仰に繋がっていきました。シヴァ神の別名を「マハーカーラ(摩訶迦羅)」といいます。


七福神/イラスト


大黒童子

 「偉大なる暗黒」という意味で、本来は滅亡や死を司る恐ろしい神でありますが、インド人にとってはあくまで輪廻を前提とした死ですから、よりよき再生への願いをこめた信仰へとつながります。また、「カーラ」には生成変化のすべてを司る「時間」の意味もあったということで、「シヴァ神」が三神のなかでとりわけ強い信仰を勝ち得ました。厨房の柱にこの神像が祭られ、女性たちに篤く信仰されたともいわれています。
 「偉大なる暗黒の神」が中国で「大黒天神」と意訳されました。漢訳経典の「大日経疎」によると、毘廬遮那(ビルシャーナ、いわゆる大仏さま)が大黒天神となって悪神である荼吉尼天(だきにてん)を調伏したとあり、のちに戦勝祈願の神としての信仰をも集めました。
 また「大黒天神法」によると、「大摩尼珠王(だいまにじゅおう)如来が、大福徳円満自在菩薩として顕現し、みずからを大黒天神と称してこの世を徘徊しておられる。こころ清らかで貧しきひとびとがこの菩薩の真言を唱えるならば、大摩尼珠という宝玉の光で照らし無量の富みと財宝を得させるであろう。」との一節があり、中国ですでに福徳をもたらす現世利益の福神としての性格が付与されていたことがわかります。


 わが国に大黒天を最初に請来したのは、天台宗祖の伝教大師最澄だといわれています。はじめのころはインドの礼法に従って、寺院の台所の守り神として安置されていたようです。
 延暦寺に残る大黒天は、「三面大黒」と呼ばれる忿怒形です。胎蔵界曼荼羅に描かれている大黒天も、三面八臂の恐ろしいすがたをしています。また「大黒天」とは関係なく、最澄は天台寺院の守護神として「大国主命」の御霊を勧請しました。どうやら忿怒神である「大黒天」と、大きな袋をしょってにこやかに笑う和製サンタクロースのような「大国主命」が図像的に混同されていくのはこのあたりに源があるようです。また「ダイコク」の音が、「大穀」を連想し農業神の性格を持つようになったのでしょう。近世になって日本の在来神である海洋系の恵比須とともに古代神話の「海幸彦・山幸彦」のようなコンビで信仰され、豊作・大漁・商売繁盛の福徳神の性格を持つにいたりました。


因幡の白うさぎ(大国主命)

吉祥大黒天

 大黒さまは、小槌を持っています。一寸法師の「打出の小槌」からもわかるように、日本人は「槌」に特別な思いを持っていたようです。「つちをうつ」が、冬のあいだ眠っていた大地の神を目覚めさせるために、春先に地面を踏みならしたり相撲を取ったりする「田おこし」の神事を連想します。「槌」が「土」につながり、「土」から「宝」を打ち出す豊穣の象徴となったのでしょう。「たから」の「た」は「田」、「から」は「はらから(同胞)」や「やから(奴輩)」などの「から」と同じで、「田に生ずるもの」や「田に属するもろもろ」という意味です。
 このようにして大黒さまは豊作の神の象徴として米俵を踏みしめることになりました。


一粒万倍大黒童子

 大黒さまといえば、「遣わしめ」としてねずみが連想されます。「古事記ー神代記」に、大国主命がスサノオの火攻めにあったとき、鼠に教えられた大地の穴に隠れて助かった話があり、「ねずみ」が「根の国(地下の国)に住む」生き物と考えられていたことがわかります。「根の国」が干支の「子(ね)」つながり、「子の日」が大黒天のご縁日になりました。その後、ねずみ算式の繁殖にあやかった子授けと子孫繁栄まで請け合ってくださる民間信仰のマルチプレイヤーとして絶大な信仰を得るにいたりました。
 かつて正月になると、大黒頭巾をかぶって家々をまわり祝詞を唱い踊る門付芸人が訪れたといいます。その先例にならい、年のはじめの「やぶにらみ」、読者諸兄諸姉の本年の、無事平安と諸事必勝、豊年満作、子孫繁栄を謹んでご祈念申し上げ候。善哉、善哉。


豊年大黒童子

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