『月刊美術』1998年2月号掲載

いぬ

籔内佐斗司(彫刻家)


吉丸
動物好きは、おおむね「いぬ派」と「ねこ派」に分かれます。
 私は、どちらかといえば「いぬ派」です。しかし、ねこも決してきらいではありません。均整のとれたからだつきやしなやかな身のこなし、なめらかな肌触りや神秘的な瞳など、ほんとうに美しいと思います。また一向に愛嬌を振りまかないくせに、甘えてくるときは思いっきり身勝手に媚びてくるところなども魅力的ではあります。「ねこ」の話ですから誤解のないように。
 その点、いぬは好意にしろ敵意にしろ、とにかく感情をはっきり伝えようとします。気が合えば、その瞬間から何十年来の幼馴染みのような親しさです。ねこ派は、その馴れ馴れしさがお嫌いのようですが。

福招きねこ
 ねこ好きは、ねこ全般を愛しているので、ひとの家のだろうが野良だろうが、ねこであればなんでも大好きという傾向があるようです。ですからむかしから「ねこグッズ」は山のようにあります。一方、犬好きはなにがなんでもわが家のいぬが一番と考え勝ちです。このあたり、忠義一途の日本犬が、主人に示す態度に共通しているようにも思います。ですから、ねこの本は確実に売れるけれど、いぬ物はいまいちというのがわが国の出版界の通説でした。ところが、誰に対しても愛想のいい洋犬が増えるにつれて、犬ものの写真集やグッズ類の市場が急成長しているのは、面白い現象です。
 イヌとネコのご先祖を遡ると同じ動物に行き当たるそうです。それは、数千万年も昔に生息した「ミアキス」という名の小動物で、木のうえで暮らすイタチのような姿でした。これがのちに、クマ科とイヌ科とネコ科へと分化していったそうです。そして「イヌ科」はオオカミ、キツネ、ジャッカル、ハイエナなどに分かれていきました。われわれの友人となった「イヌ」は、小形のアジアオオカミのこどもを、新石器時代人が育てたことが始まりであるとの説が一般的です。はじめは毛皮や肉が目的であったものを、いつしか狩猟用として飼うようになったのでしょう。


いぬ


柄杓童子
 ひとと暮らすいぬは、集団のナンバー2に自分を置くといわれています。ですから、主人がいるときは主人のいうことをよくききますが、ほかの家族のいうことはきかなかったり、嫉妬したりする場合があるようです。第三者の介在を許さないという点では、ひとの行動パターンでも見かけることがあります。とくに恋するふたりに顕著に表れることではありませんか?
 柴犬や三河犬などの日本犬は、単独行動または小数での行動を好みます。ほとんどが山の猟師とともに生活をしてきたため、生まれながらに主人と自分だけの世界を作り、他者を寄せつけない性格が強いといわれています。ですから日本犬は、よく吠える、噛みつきやすい、などの特徴があります。一方、西洋のいぬは牧羊犬や使役犬としての暮らしが長かったため、社会性があり集団での暮らしに慣れています。散歩の途中に「ガウッ、ガウッ」と闘争心を剥き出しにするのは日本犬で、鷹揚にかまえているのは洋犬の場合が多いようです。  いぬにかぎらずさまざまな家畜とともに暮らしてきた民族は、動物との暮らし方が社会のなかにとてもうまく組みこまれています。知り合いの英国人やドイツ人の飼い犬に接する姿勢にはいつも感心させられてしまいます。

みぃ/ブロンズ
 最近、日本でも盲導犬を見かけることが多くなりました。賢くていじらしくて、ほんとうに可愛い様子です。いぬとひとの関係をこんなふうに作り上げた西洋人の発想や文化にはこころから敬意を表します。目の見えないひとにとって、忠実な友がいつもそばにいることの意義ははかり知れません。また家のなかで犬の世話をすることが、とてもおおきな癒しの効果や生きがいになっていることも見逃せません。日本の都会に暮らす多くのこどもたちは、いぬと過ごす機会が極端に少なくなっています。とても悲しいことであるとともに、情操の面でも大きな問題があるような気がしてなりません。
みちのく福興し童子
 何年も前に、ある美術評論家から「ねこを題材に制作している作家はたくさんいるけれど、いぬを題材にしているのはあなたくらいのもんじゃないかな。」といわれたことがあります。
 たしかに私は学生時代からたくさんのいぬの作品を作っています。「作品のいぬにはモデルがありますか」とはよく質問されることですが、おおむねこどものころにわが家にいたいぬたちの記憶にもとづいています。かれらのぬらぬらした鼻づらや、ふさふさの毛や生臭い息遣いなどが、きれいな瞳とともに私の目と掌の記憶として刻み込まれています。「いぬもあるけば」のシリーズにはたくさんのバージョンがあります。公共の場所に置かれた作品は、全国に八ケ所以上あるのではないでしょうか。たまにそうした作品に出会うと、ひとがよく触る部分はとてもいい色に輝いています。ひとに近しい彫刻作品を目指す私としては、ほんとうに嬉しい限りです。
 しかし、まちなかから野良いぬがいなくなった分、わたしのいぬがまちのひとびとに可愛がられているのではないかと思うと、ちょっと複雑な気分です。



犬モ歩ケバ in MATSUDO/松戸競輪場

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