『月刊美術』1998年3月号掲載

初期作品

籔内佐斗司(彫刻家)

 どんなに高名な画家や彫刻家でも、完成された芸術家として生まれてきたわけではありません。
 かならず試行錯誤を繰り返していた無名の時代があったはずです。ひとりの作家の生涯を考えるとき、修業時代の作品はとても重要な意味があります。

 また作家志望の若者の目には、巨匠たちの初期作品は、とても身近に感じられて刺激のあるものです。絵を描くことが大好きだった子供時代の私も、ミケランジェロやロダン、ピカソやマチスなどの巨匠たちの少年時代のデッサンや習作の図版を飽きずに眺めていました。同じ年令の自分の作品と比較して、ため息がでたり、たまには「おっ、結構いけるやんか」などと無邪気に一喜一憂していたことを思い出します。巨匠たちの初期作品に共通していることは、描くこと、作ることが楽しくて楽しくてたまらなかった、そんな感じの作品であるということです。
 ピカソが十三才頃に描いた有名な石膏デッサンがあります。受験生の愛読書である「石膏デッサンの描き方」などには必ず掲載されていたもので、彼の早熟ぶりが伺える見事な素描です。

その後のピカソの表現スタイルがどのように変わろうとも、子供時代のこの素描で何となく許されてしまうような気がしたものでした。
 またミケランジェロが十代の前半に作ったといわれる大理石の聖母のレリーフが残されています。当時の石工の徒弟にどの程度の表現レベルがあったのかは知りませんが、とても少年の作ったものとは思えませんし、その後の彼の造形の特徴が見事に現れていることはとても興味深いことです。
 奈良の円成寺(えんじょうじ)にある大日如来坐像は、鎌倉時代の仏師・運慶が二十才過ぎに父・康慶から制作を任された作品であることが、像内の墨書によって確認される貴重な作例です。
 小振りな顔だちや引き締まった身体表現は、それまで主流であった京都の院派や円派の豊満な造形とは全く違った革新の息吹が漲っています。青年運慶の爽やかな意気込みが感じられる佳作です。

もう少し身近な話をします。むかしのような徒弟制度の修業時代はなくなりましたが、いまの作家たちの初期の代表作はおおむね美術大学の卒業制作になります。課題や実習ではなく、自分がはじめて世に問うべき作品として制作した記念すべきものです。わたしの芸大時代の友人のなかにも、さまざまな分野で頭角を現し、確たる基盤を築きはじめているひとたちも出てきました。
 中堅作家の仲間入りをしたかれらの卒業制作を思い出すと、今を予見させるものもあれば、思わず顔がほころんでしまう作品もあります。しかしそれらは、作家の全体像を知るうえでとても重要な作品であることは当然です。
 また卒業間もないころの団体展の落選作品や貸し画廊などに展示した作品も、その後の作家の歩みいかんでは貴重な初期作品となっていきます。

 ちなみに私の卒業制作は、木彫ではなく石彫作品でした。卒業後に埼玉県の長瀞にあった私設の彫刻公園に設置しました。その後、移動したという話を聞きましたが詳しくは知りません。ちょっと見てみたいような見たくないような微妙な気持ちです。

 さきほど、ミケランジェロの少年時代の作品に、その後の彼の作品の特徴が現れていると書きました。美学者は、それを「個性の初発性・初現性」とかいう言葉で呼んでいます。作家が初めて作った作品には、作家の生涯を通じての個性がすでに現れているという考えです。なるほど、私自身の卒業制作を見てもそう思いますし、同世代のなかまの作品を見てもやはりそういえます。
 銀座を訪れるコレクターのなかには、評価の定まらない新人の作品だけを集めるひともいます。
 安価であるという以外に、自分が目をつけた作家の成長や変化を長い時間をかけて眺める楽しみがたまらないとおっしゃいます。油断のならないコレクターです。

 私が作品の発表を始めたのは20年ほど前のことです。その頃、貸し画廊の費用を捻出するために作っていた小品がひょっこり画商さんを通じて私のところへ持ち込まれ、鑑定や箱書きを頼まれることもあります。そんな時、自分の若いころの作品を見て、表現上の拙さを恥じ入ると同時に、今の自分にはもう作ることのできない荒々しさや新鮮さに圧倒されてしまうことがあります。二十才代の若々しい自分が突然目の前に現れたような衝撃です。彫刻は絵とちがってむきだしのまま展示されることが多いものです。作品の表面についたほこりやきずは、私の手を離れたあとに作品が一人歩きをした証であると思うと、無性にいとおしくなったりいたします。
 おりしも各美大の卒業制作展が各地で開かれています。未来の巨匠の初期作品を見つけに出かけてみてはいかがでしょうか。
 

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