『月刊美術』1998年6月号掲載

籔内佐斗司(彫刻家)

 わが国は「木の国」といわれますが、実際は「檜の国」であったといえます。私は、古文化財の保存と修復の経験からこのことを深く学ぶことができました。しかし現代社会ではそれを実感する機会がだんだん少なくなっています。そこで今回は「檜」と日本人の関わりのうんちく話です。
 木は、ご存知のように裸子植物と被子植物に分ける事ができます。ヒノキやマツ、スギなどの針葉樹はイチョウやシダ類とともに裸子植物といわれ、桜や楢、樟のような被子植物にくらべ生物学的には原始的とされます。真直ぐな檜は長いストローを束ねたような単純な構造をしています。ですから木口(こぐち)から楔(くさび)を打ち込んで割って簡単に製材することができます。校倉造りで有名な正倉院は三角形の断面をもつ檜を積み上げたログハウスのような構造で作られています。これは俗に「みかん割り」というもっとも簡単で無駄のない楔製材の結果です。一方、広葉樹は太さの違うストローが複雑にからまったような構造をしていますので、楔できれいに割ることはできません。針葉樹である檜をもっぱらに使用してきた古代のわが国では、楔による割裂製材が中心であったため、中世末期まで製材用の縦挽き鋸をほとんど使用しなかったようです。これは世界の道具の発展史のなかではきわめて特殊な現象です。いかにわが国の工人が檜に頼っていたかが窺えます。
 幹を輪切りにすると、同心円状の年輪が見えます。木は水分を根から吸い上げる導管を外側に外側に増やしながら太く高く生長します。生長の早い春から夏にかけては太い導管がまばらに形成され、生長の鈍い秋から冬にかけては細い導管が密に形成されます。この繰り返しが木目になります。古来、木の工人は干割れを克服する努力を続けてきました。芯を含んだ丸太のばあい、表皮に近い部分から乾燥して縮み、組織の弱い部分が裂けて放射状にひびが入ります。製材された板の表皮に近いほうを「木表(キオモテ)」、芯に近いほうを「木裏(キウラ)」といいます。芯を避けて四角く製材した木は、導管の密度が高い「木裏」に干割れが入り易いため、彫刻材は「木表」を正面にもってくるのが原則です。また奈良時代から平安初期にかけての一木造りの仏像は、背刳り(せぐり)といって像の前面にひび割れがこないように背面から四角い窓を開けて内側を刳りぬき、別の板材でふたをしていました。

 かつて日本の山々は檜の原生林に覆われていたといわれます。日本人はこの木を近代の「鉄」のように、建築の構造材や造形素材としてふんだんに使用してきたのです。古代には天皇が代わるたびに新しく都を造営しました。平城京や平安京のような規模ではありませんでしたが、飛鳥京、信楽京、長岡京などを築くことは、当時たいへんな事業であったろうと思いますが、それを可能にしたのは潤沢な木材資源が近畿地方にあったからです。しかし、たびかさなる都の造営や大寺院の建立、そして源平の戦さや応仁の乱などの戦災で焼失した大寺院の再建事業は、檜の原生林を中世までにほとんど使い果たしてしまいました。鎌倉時代の東大寺の再建にあたって、勧進僧・重源上人らは、資金集めに全国を行脚したといいますが、実際には檜の巨木を探し求めた旅であったともいえます。


青松寺 四天王制作風景
 先年全面解体修理が行われた南大門の仁王さまの用材は、遠く周防の国(山口県東部)から切り出された檜であることが分かっています。また現在の南大門を、同じ構造で再建することは日本中の檜を掻き集めても、不可能だといわれています。江戸時代初期に再々建された大仏殿は、天平時代の創建当初よりひとまわり小さくなっていますし、堂内に林立する柱は一本の通し柱ではなく何本もの檜を束ねて鉄の輪で補強して作られています。そしていまや檜造りの木造住宅に住むことは、たいへんな贅沢になってしまいました。

 古代中国の世界観では、東は「木性」の地域とされ、そこから朝日がのぼることから「木+日」で「東」の字が生まれたといいます。この字をそのまま読むと偶然ですが「日の木」になってしまいます。ヒノキの語源の定説はまだないようです。燃え易いところから「火の木」であるとか、断面の色が赤いことから「緋の木」であるとかいわれます。日本の古代の地名には肥後、日向、飛騨、常陸など「ヒ」のつく国がたくさんあります。また古代のリーダーは「日子・彦」と呼ばれ、わが国名も「日の本」でありました。朝鮮半島などからの渡来人が先住民族と混淆していくなかで、中国や朝鮮半島からの独自性を「日」に求めたのでしょうか。やぶにらみ流歴史観では、檜こそわが国を代表する木になります。

 私は木曽の檜を材料に彫刻をしていますので、檜の高雅な香りに包まれて日々仕事をするという幸せに浴しています。檜の樹液成分ヒノキチオールの薬理効果も喧伝されるところですが、たしかにこの十数年、寝込むような病気をすることもなく、いたって健康に過ごしています。これも檜のご加護のような気がしてなりません。
七曜童子 -木-

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