『月刊美術』1999年4月号掲載

脱腸亭日記

籔内佐斗司(彫刻家)

 私は2月の終わりから一週間、鼠頸ヘルニアの手術で病院暮らしをしました。簡単な手術と聞いていたので気楽に近所の救急指定の外科病院へ行きましたが、なかなか重い一週間でした。以下はその「入院日記」の抜粋です。
 
2月24日(水)晴れ
午前9時半・入院手続きを行う。大部屋しか空きがないと聞かされ、面喰らう。 午前11時・看護婦さんがかみそりとせっけんを持って剃毛に現れた。10分ほどかかって袋の裏までつるんつるん。もともと自慢できる代物ではないとの自覚あれど、ひげがなくなるとここまで貧相になるものか。点滴用の針が腕に刺されテープで固定される。これで一般社会から切り離された。
午後2時・手術室に入る。質素というか粗末というか。中学校の理科の準備室のよう。執刀医と補助医が現れ、ベッドのうえで海老のように丸くなれという。脊椎のすきまに注射針を刺される。さほどの痛みもなし。すぐに下半身が痺れてくるが、意識ははっきりしている。臍から下の感覚がなくなる。医師の指先に着いた血から執刀中であることを知る。約30分ほどで手術はおわる。ストレッチャーに揺られて病室に戻る。
(中略)
暗闇のなかで朦朧とする。点滴の交換や血圧検査のたびに起こされる。膀胱がぱんぱんに張っているが、尿意はない。導尿を勧められる。

守護 おきあがり童子
看護婦さんが、ゴム管を尿道から差しこんで下腹を押すと、じょぼじょぼと出てくる。肉体は袋と管の集合体であることを再認識。腹が楽になる。脚の痺れがなくなると同時に、術創が疼くようになった。痛み止めを射ってもらうと、痛みが消えた。白衣の天使とはよくいったものだ。
 
2月25日(木)風雨強し
午前6時・電灯が点けられ、部屋の状況が把握できた。ベッド数は11で、老人が多い。いずれも脳梗塞や脳血栓のようだ。点滴のせいで30分ごとに尿意あり。点滴スタンドを連れて便所へ行くのがつらい。
午後五時ころ・骨盤底部を骨折した82歳の老人が、急患で隣のベッドに運ばれてくる。医師が処置をする時、大きな叫び声をあげる。ことば使いからなかなか粋な放蕩人のようだ。付き添ってきた高校生の孫娘がかいがいしく世話を焼くが、おじいちゃんのわがまま放題が頭に来て「もう二度と来ないからね。」と帰りかけると「明日、筋子の醤油漬けを持って来い。」と言いつける。さっき血圧が240とかいわれていたのに・・・。おむつを断固拒否して溲瓶を自分で使うときかない。しかしその後、シーツを汚す。
(中略)

小雷公・小風公
深夜、わが隣人は軽い錯乱状態。昼間の気丈さはどこへやら。その後吐く。看護婦を呼ぶ。一時間ほどシーツ交換などでがたがたする。その間も、救急車が駅の階段から落ちた女性を運んで来た。
 
2月26日(金)小雨
午前6時・起床。痛みは昨日より改善する。微熱あり。
となりのおじいさんが、ベッドをたびたび汚すので、看護助手たちの反発を招いている。夜のうちに点滴の針を引き抜いたとかで、看護婦の心証も悪くなってきた。
(中略)
午後5時・友人の獣医師が見舞いに来てくれる。病室を見て絶句。
 「野戦病院みたいやろ。」と私。
 「うちの動物病院とええ勝負やな。今度は、おれに相談せえよ。病院なら紹介したるから。」
 「いぬ・ねこ病院をか・・・?」
夜間、問題患者は腕が上がらないように両手首を左右にさらしで縛り、両端をベッドの下で結束する「抑制」処置がされる。となりのおじいさんも、「抑制」することになった。かなり抵抗している様子が聞こえる。
病棟の日常のしごとは、治療そのものより食事と糞尿の始末につきることを知る。

小雷公、ひとやすみ
 
2月27日(土)曇りのち晴れ
午前6時・起床。また点滴開始。小便が近い。気分が滅入る。
(中略)
午後1時・手術の朝以来、3日目にしてお通じ来たる。こんなに待ち焦がれた「お便り」は初めてだ。食事をして、消化して、その結果の糞と尿を出すというあたりまえの営みがこんなに清々しいとは。
(後略)


 その後の経過は順調で、3月3日に退院しました。脱腸のおかげで、近所の小さな病院でも、こんなドラマが毎日繰り広げられていることを知ることができました。五味川純平の「人間の条件」の一節に「人間なんて所詮、吸収と排泄の連続体に過ぎんのだよ。」というふうな科白があったと記憶しています。入院中、このことばが頭から離れませんでした。


天道童子
 

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