『月刊美術』2000年11月号掲載

杞憂

籔内佐斗司(彫刻家)


おんなのかお
 近頃、日本的なるものがすべてネガティブイメージで捉えられています。世界最強を誇った日本的経営や商習慣、美徳であったはずの贈答文化までプロテスタント文化の基準によって罪悪視されるようになりました。また儒教的道徳観に基づく年長者への敬意も、サラリーマン社会では年功序列制の否定と年俸制によって消滅しようとしています。そして自動車産業や金融界も外資の好餌と化してしまいました。  
 大学では、欧米の思想や哲学をはじめ、どんな先端技術の講義でも日本語で行われてきました。これは学術水準の高さというよりは、日本の学問が創造ではなく翻訳と応用に過ぎなかったことを露呈しました。他国の言語を習得するということは、思考形式を体感するとともに、海外の友人を作るというとても大切な効用を生むはずでした。この機会を逸して来たことは、学問に限らず政治、経済において国際理解が必須となっている現在、日本の最大のアキレス腱になっています。
 伝統芸能、伝統文化の危機は、ずっと早くから始まっていました。
 希少動物の保護を目的としたワシントン条約は、日本の伝統音楽を危機に追いやっています。象牙で出来た三味線の撥や琴柱の製作は不可能になりつつあります。また鼈甲を用いた伝統工芸品も風前のともし火です。
 着物離れは、行き着くところまで行った感じがします。成人男性で、着物を持っていないひとの割合は九割を超えるでしょう。すでに「民族衣装」とは呼べません。「漆はジャパン」などと豪語していた漆工芸産業の衰退も、眼を覆うほどです。これらのことは、衣食住すべての点でわれわれが日本人であることを止めてしまおうとした結果です。生活環境の変化に適応できなかった供給側の責任もあるでしょうが、日本人自身の選択の結果でもあります。
 幼稚園のころから室内でスリッパを履き、椅子に座りスプーンで食事してきたこどもたちに、正座の生活文化を伝えようというのが無理なことです。

宝来亀

風ニ問フ
 また小学校や中学校で校外学習と称し、町中を体操着のような格好で歩かせておいて、公共の場での服装やマナーをこどもたちにとやかくいうのは酷でしょう。地方のある公立高校は教師も生徒もゴムのサンダルが正式の上履きでした。授業も便所も同じようなサンダルを履いています。日本文化の本質は、外と内、公と私、晴と忌の「型」を分けるところから出発していたはずなのに。
 しかし今述べてきたようなことは、旧世代の杞憂かも知れません。旧い形式やしきたりなど、残るちからのないものは消滅していいのかも知れません。先頃のシドニーオリンピックを見ていると、若者たちの大舞台での度胸のよさには驚かされます。新しい日本を考える時、彼ら新世代の日本人、とくに女性たちのめざましい活躍は、一条の光明を見る思いがします。21世紀の日本の文化は彼らの世代が創りだすのだと実感させられました。その時、彼らに祖先の文化をよき肥やしとして与えることがわれわれ旧世代の努めなのでしょう。
 さて、私の工房にはつねに5〜6人の若者が出入りしています。今年の4月から新卒でやってきた二人組みは、私の最初のアシスタントが大学の教員になってから育てた連中です。昔風にいえば孫弟子というところです。工房12年の成果のひとつでしょうか?
 私の工房に関係した10人ばかりの有志が作品を発表することになりました。すでに独自の道を切り開きつつあるひともいますし、今回が初お目見えのひともいます。技術的に大変達者なひともいますし、ちょっと不器用なひともいます。実は私も、彼らの作品をじっくりと見る機会がありませんでした。工房主として、不安と期待が交錯します。
 どうかみなさま、忌憚のない厳しいご意見やご叱正を、工房主ではなく作家自身へお寄せ下さいますよう、伏してお願い申し上げます。

追い風童子

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