『月刊美術』2001年1月号掲載

レクイエム

籔内佐斗司(彫刻家)

 作家同士というのは面白いもので、めったに顔を合わせなくてもおたがいの作品が好きだというだけで、同士のような親友のような不思議な感情が芽生えます。とくにジャンルが違う場合、ライバルとしての競争心がないだけに気楽に本音で付き合える利点があります。
 平成12年は悲しいことに、そんな大切な知人のなかから三人の逸材が鬼籍に入られました。いずれも、私が作家として生きていく上でとても強い影響を受けた方々でした。その訃報に接し、肉親を失った時の身を切り裂かれるような痛みとは違う、鈍器で殴られたような重い悲しみと寂しさが日を追って増しています。
 4月、漆工芸の夏目有彦さんが唐突に旅立って行かれました。
 夏目さんは、堂々たる巨体に大きな目を向いて、ごつい指先にはいつでも漆がくっついていました。そしてアジアの古美術の話になると子どものように無邪気な顔になりました。後輩の面倒見のよいことでも知られ、若い技術者たちにも懇切に指導を行っておられたと聞きます。
 木曾に代々伝わる蒔絵師の名家の当主ながら、ご自身の創作分野では、豪放な根来塗りを得意とされました。小手先の技術や用の美を忘れた脆弱な作品の多い昨今の漆工芸界にあって、風貌そのままの骨太い作品は、出色の存在でした。
 7月、信楽の陶芸家・古谷道生さんが、亡くなられました。まだ五十台の造り盛りで、作家としてこれから充実した世代に入ろうかという年齢でした。日常の雑器から、茶人垂涎の茶器まで、卓越した技量と品格のある作風は衆人の高く認めるところでした。完璧主義者の古谷さんは、重労働である窯焚きも、ほとんど独りですると聞きました。ご自身の命の火を燃やしながら焼き上げた作品は、見る者を感動させずにはおきません。
 何年か前、信楽の山あいにある氏の窯をお訪ねしたとき、気取らない人柄そのままの手作りの庵で、温かいおもてなしを頂きました。生前に求めさせていただいた偏壷や花器、酒器とともに古谷道生氏の想い出は、私のなかでいつまでも生き続けることになりました。
 おふたりには今年の正月、あるお席でご一緒させていただき、日頃のご無沙汰を埋め合わせつつ、旧交を温めたものでした。これからはどんな会合や宴会でも、おふたりの優しい眼差しに接することができなくなったと思うと、胸が締め付けられます。
 11月、日本画家の林功さんが中国で不慮の死を遂げられました。
 私が、芸大の学生であった二十数年前、すでに院展系若手のトップランナーとして確たる実績を積むと同時に、大学の保存修復技術研究室で培った材料技法の見識や古典模写での技術の高さは、誰もが認めるところでした。「ハヤシイサオ」という強い名前に反し、とても穏やかな物腰と笑顔は、すでに三十代前半にして大人(たいじん)の風格がありました。実作者が文化財とどのような関わりを持ち、美術史や文化財保護にいかに寄与すべきかを、私たち後進に身をもって示して下さったといえます。
 著名な作家でも、文化財行政や学術面での知的アプロー チをできるひとは大変少ないものです。そうしたなかで、古典と真正面に取り組み、最良のエキスを吸収しつつ、ご自身の制作へ反映させていた林さんの姿は、創作家が社会とつきあうべき大切な道をはっきりと示されました。彫刻家としての現在の私のありようは、林さんの姿を見ることで、決定づけられたともいえます。
 生前、個人的なおつきあいが深くなかった私ではありますが、一方的に頂いた影響の大きさを思い、林功さんのことを書いておかずにはいられませんでした。

 三名の偉大な先輩のご冥福を、衷心よりお祈り申し上げたいと思います。

※それぞれの展覧会は終了しています


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